日本の赤ちゃんに多発する謎の血管の病気、川崎病。日赤の川崎富作先生に発見されて50年以上たちますが、未だにきちんとした原因がわからない病気です。これまでたくさんの研究者が、川崎病の原因や心臓の合併症(冠状動脈瘤の形成に伴う心筋梗塞など)の予防について精力的に取り組んできた結果、重い心臓病で苦しむ子供さんは激減しております。
先月末、県立和歌山医科大学や千葉大学から、冠状動脈瘤を発生する可能性の高い重症川崎病の赤ちゃんに、通常の治療(アスピリン内服と免疫グロブリン大量療法)にプラスして、ネフローゼ症候群などの自己免疫疾患に保険適応がある免疫抑制剤、「シクロスポリン」(ネオーラル内用液)を5日間飲ませると、特段の有害事象なく、有意に有熱期間や冠状動脈瘤の合併を抑えることができた、という報告がありました(0.46倍に抑制)。臨床系のトップジャーナル「The Lancet」に報告され、その要旨は、和歌山医科大学のプレスリリースにも出ています。
この治療法のすぐれたところは、現在行われている治療に追加して毎日5mLほど薬を5日間飲むだけでいいので子供にやさしい治療法であること、薬代が圧倒に安い(10kgの赤ちゃんで5日飲んで19,632.5円、対する免疫グロブリンは160,272円)こと、メチルプレドニンやレミケードなどを併用する方法に比べて安全性が高いことが挙げられます。よって、現在免疫グロブリン療法を行っている施設であれば、どこでも簡単にシクロスポリン併用療法ができるということです。
この臨床研究が全国の22カ所の臨床経験豊富な小児科医と、臨床研究中核病院である千葉大学病院の臨床試験部が連携し、2年間かけておこなった医師主導の治験であるということです。残念ながら九州大学や久留米大学の関連病院はお呼びはかからなかったようですが、日本の小児科ではほとんど行われてこなかった一般市中病院と大学病院の医師主導型治験でこんな重大な知見が発見できたことは大変意義があります。早期に保険適応になることが期待されます。
さて、シクロスポリンが川崎病の心臓合併症や重症化予防に効果があるのではないか?のヒントになったのは、川崎病が発症する、あるいは重症化する原因の一部が解明されたことです。細胞の外からの刺激がはいり、活性化して様々なたんぱく質(例えば炎症を起こしてウイルスや細菌を排除させようとするたんぱく質)を作るときには、細胞の細胞質内にある小胞体から出るカルシウムが大事な役割を果たします。カルシウムの濃度が上がるとスイッチが入り、細胞はいろいろ物質を作る、という具合です。そのカルシウムの小胞体からの流入・流出に重要な役割を果たすのがイノシトール3リン酸という鍵となる物質です。細胞の外からの刺激でイノシトール3リン酸どんどん作られ、小胞体のカルシウムの出入りをするドアのところにある受容体(鍵穴みないなもの)にくっついたら、ドアが開いて、小胞体の中のカルシウムが細胞質内に飛び出す、という具合です。イノシトール3リン酸という鍵が際限なくあったとしたら、小胞体からカルシウムが出っぱなしになって活性が強くなりすぎて、例えばちょっとした病原体の刺激で川崎病になったり、川崎病が重症化して心臓の合併症が起きたりしてしまいます。そこで、人間の体は、そうならないように、イノシトール3リン酸を脱リン酸化して壊してしまう酵素をもっています。その一つがイノシトール3リン酸キナーゼCという物質です。長いのでITPKCと略されています。このおかげで炎症反応が過剰にならないように人間の体は制御されています(もちろんこれだけではないですが、これも一つです。
もう10年以上前になりますが、2007年12月、理研とUCSD(カルホルニア大学サンディエゴ校)は共同で、そのころ流行していたゲノムワイド関連解析で、① 川崎病になり重症化する人の集団には、この過剰炎症を制御する働きがあるITPKCの遺伝子に変異が認められる人が多くいること、② 変異型のITPKCはイノシトール3リン酸を制御する力が弱く、そのためそういう変異を持った集団のリンパ球は活性しすぎて過剰炎症をおこすIL-2というたんぱく質を大量に産生すること、③ このことが川崎病の発症や重症化に関連しているであろうことを発表しました。川崎病の病態に関連する遺伝子の点変異(SNPといっています)の世界で初めての報告で、しかも日本人であろうがアメリカ人であろうが人種をこえて関連している因子ということで、当時かなり注目を受けました。これが川崎病治療にいずれ寄与することになるだろうとも思われていました。
今回の川崎病のシクロスポリンによる強化療法ですが、シクロスポリンは、イノシトール3リン酸によって放出されたカルシウムで活性化するカルシウム結合蛋白の一つ、カルシニューリンに作用して失活させ、炎症を抑える物質です。現時点で比較的安く安全に赤ちゃんに使用できるカルシウム結合蛋白阻害薬のシクロスポリンに注目して全国の川崎病治療豊富な臨床医によりなしえた偉業、たたえたいと思います。
ところで、ここから私事ですが、理研とUCSDの共同グループが世界で初めて川崎病に関連するSNIP(疾患関連性1塩基多型)を報告する10年前以上前、ちょうど博士論文のための基礎研究にはいった1995年のころです。当時久留米大学小児科の教授、加藤裕久先生(現、大分こども療育センター長)は、川崎病の心臓合併症を世界で初めて注目して原因や病因の究明、治療法を確立された大学者なのですが、不肖私も、その加藤先生のご指示で、久留米大学免疫力教室の伊東恭悟教授のところにお邪魔して、川崎病の原因について研究させていただくことになったのです。これまで歴代の国内外の優秀な研究者がカビや洗剤、ウイルス、細菌、細菌由来の毒素、大気汚染など、出てきては消え、小児科分野にまたあたらしい謎の病気ができた「a New Pediatric Enigma」(1978年)とか、まだまだ研究しがいのある謎「Still a Fascinating Enigma」(1989年)などと表現されていましたし、発見50年以上たったいまでも川崎病の謎の魅力は色あせていないくらいです。そんな大きな謎の解明を博士論文の課題にいただき、プレッシャーに押しつぶされそうでした。
私が派遣された先の免疫学教室の伊東先生は、専門は癌ワクチン治療のひとつ、ペプチドワクチンで、テキサス大のMDアンダーソンがんセンターでアソーシエイト・プロフェッサーまで上り詰め、帰国されたばかり。すべてがアメリカ仕込み、バリバリの教授ではりきっておられました。川崎病の原因究明のため、今まで失敗した研究者たちとは違うアプローチをとられました。それまでは川崎病には、例えば結核菌やインフルエンザウイルス、あるいは鶏卵アレルギーの時の卵のように、川崎病をおこす特異的な病原菌があると仮説を立てて、病巣から病原菌や毒素などを抽出しようというやり方だったのです。しかし、伊東先生の方針は全く異なっていました。1994年に、マラリアに罹患した子どもたちのなかで、重症の脳マラリアに進展しやすい子供たちの集団には、腫瘍壊死因子(TNF)といわれている、リンパ球などから作られて炎症の重症化にかかわっているたんぱく質が多く産生される傾向があること、それはTNFの産生をコントロールするプロモーターという領域のSNP(遺伝子の1塩基変異)があり、TNFの産生が高い状態が続くので、マラリアが重症化しやすい、というイギリスからの論文が、泣く子も黙る科学雑誌のトップジャーナル「Nature」に掲載されました。この論文をヒントに、「川崎病でも軽症な子どもと心臓の後遺症を残すような重症な子どももいるが、もしかしたら、病原体が問題ではなくで、いろいろ病原体に罹患した時に、過剰な炎症が起きる子供が川崎病になったり重症化したりするのかもしれない」、「疾患感受性が炎症に係る遺伝子の一塩基変異で異なっているのかもしれない」、「その疾患感受性を決める物質は、炎症のキーであるTNFかもしれない」、という仮説を立てて、まず、日本人でTNFの産生にかかわるプロモーターの一塩基変異(SNP)が多い部分を見つける、そのあとに、川崎病をはじめ、いろいろな自己免疫疾患で、TNFのプロモータ部分のSNPと疾患感受性や疾患重症化の感受性と関連があるかを調べました。
TNFプロモーター内のTNFの産生亢進に係る新しいSNPの探索は、共同研究者で大学院の樋口君が、その部分の疾患感受性との関連性の調査は私が担当しました。ちょうど遺伝子を簡単に増幅できるPCR法のキットが開発されて、我々素人医者にでも誰でもできるようになった頃でしたが、このような分子生物学的手法で遺伝子を解析するのは当時の流行でもあり、憧れでもありました。共同研究者の樋口君は苦労して、先に見つけらていた2つのプロモーター内のSNP以外にも3つ新規で発見、論文にしました。その論文は、以後310回も引用される素晴らしいものとなりました。
そこで次は自分の番。昔川崎病になって久留米大学で治療した家族を調べて、川崎病になった人と川崎病にならなかった兄弟の血液をいただきに、1件1件連絡して出向きました。今から考えると、これはどうみても異常な行動で、私の小児科の仲間たちも、気持ち悪くおもったのか、私のことを当時世間を恐怖に陥れたオウムの象徴である「サティアン」と呼ぶようになりました。しかし検体がないと解析ができないので必死でした。時には電話をいきなり切られたり、約束して出かけて行っても遊びに出ていたり、採血を拒まれたり・・・当然です。本当にボランティアで血液をいただいたのですから。夜にやっと戻ってきて、それからTNFの産生を調べるために、リンパ球を精製して、毒素などで刺激して培養、また同時にTNFのプロモータのSNP解析用にリンパ球からDNAをとって保存して、・・・一時は大変でした。結局川崎病に罹ったことがある人、61人、その兄弟で川崎病にかかっていない人、35人のリンパ球とDNAを解析しました。その結果、たしかに川崎病で心臓合併をおこした重症者のリンパ球は、ブドウ球菌毒素やリンパ球刺激物質の刺激に対して、多くのTNFを産生することは確かめられましたが、大変残念なことに、川崎病患者さんだからといって、TNFのプロモータの疾患感受性にかかわるー塩基変異(SNP)に、川崎病にならない兄弟との差はありませんでした。この致命的な結果のため、どこの雑誌からも掲載を軒並みお断りされ、本当に地獄でした。しかし1999年夏にようやく日本小児科学会雑誌の英文誌「Pediatrics International」に掲載していただき、この論文で2000年に医学博士をいただいたのです。
私たちが昔、川崎病重症化で注目したTNFですが、TNFを強力に阻害する生物学的製剤のレミケード(一般名インフリキシマブ)は、川崎病で標準的治療である免疫グロブリン大量療法が無効の場合のセカンドラインで使用され、大変効果をあけています。大分県立病院など九州大学関連病院ではメチルプレドニゾロンではなくレミケードがよく使用されています。これを見ても、川崎病患者のリンパ球から大量にでるTNFは実際に病状の重症化にかかわっていることは確かです。さらに自分の研究でも、川崎病冠状動脈合併群のリンパ球はそうでない群のリンパ球より、いろいろな刺激で実際にTNFを大量に産生していました。しかしこれが、TNFのプロモーターのSNPのせいという単純な話ではなく、イノシトールリン脂質経路など、もっと複雑なものが絡んでおり、そのうちの一つがITPKCのSNPのせいだったようです。
この話には後日談もあり、川崎病ではこのSNPは意味がありませんでしたが、七転び八起きの精神で、内分泌内科の先生たちからたくさん患者さんのDNAをいただき、いわゆる銅鉄実験(銅でダメなら鉄ではどうか?銅でそうだからてつでもそうかも、というノイエスのないあまり褒められた研究とは言えません)をおこない、このTNFプロモーターのSNPは、バセドー病、2型糖尿病、関節リュウマチ、若年性特発性関節炎(全身型)、HTLV-1のブドウ膜炎発症と、川崎病以外はすべて大当たりして挽回しました。まさに、「一粒で2度どころか、5度おいしいTNF SNP・・・」みたいに入れ食い状態。川崎病の主論文が落とされまくっている間に一気に5つも副論文が出てしまいました。その後の研究生活で海外で一流の研究所に職を得ることができたのは、このときの川崎病でポシャッタで終わらせずに銅鉄実験でも何でもして成果を出して、枯れ木も山の賑わいと、履歴書にたくさんの業績を載せることが出来たからだろうと、思っています。
自分たちの、川崎病でのTNFのプロモータのSNPの関連はなく、研究は失敗に終わりましたが、私たちの研究以降、川崎病の発症や重症化には、病原体探索と同様に、個々人の持っている疾患感受性の違いにも多くの研究者が注目するようになりました。そして8年後の2007年に理研とUCSDの共同研究で世界で初めて川崎病でITPKCのSNPが報告され、そしてそれをもとに10年後の先月に今回のKAICA Trailで川崎病が有望な治療法であるシクロスポリン強化療法が発表され、20年前に川崎病研究に燃えた自分として、大変うれしく思い、当時を思い出して長々と書き下してしました。