暑い夏の猛暑もようやく落ち着き、セミの鳴き声もすっかりなくなり、夜の秋虫の鳴き声に変わりすっかりすずしくなりました。季節の移ろいを感じるこの頃です。当院のような町の小児科医院はこれから3か月はインフルエンザワクチンでバタバタ忙しくなる時期になりましたが、その前にインフルエンザの大流行が小学校内などでみられるようになりました。改めてインフルエンザの脅威を思い知るこの頃です
さて8月に九州・沖縄地域小児がん医療提供体制協議会から、「小児がん診断ガイドブック(九州・沖縄版)」が、当院を含む九州・沖縄の小児科医院や病院に配布されました。小児がんは、感染症やアレルギー疾患のようなコモン・ディディーズと違い当院のような町の診療所で診療することはありません。しかしきわめて稀ですが、患児さんが調子が悪く受診したおこさんが、実は小児がんだった、という悲しい話は現実にあります
ガン、と聞くとシリアスに話題ではありますが、我々町の小児科医が初診でみる可能性は十分ある病気なので、いつかは取り上げて勉強しなおしてみたいと思っていました。そこで今月は、めったに診ることはないけれども、もし見逃して治療が遅れたら重大な結果になりかねない「小児がん」にフォーカを当てて勉強してみましょう。
今月のフォーカス 小児がんのお話
- 小児がんの特徴
- 小児がんを疑う児を診た時の我々初診医の対応
- ケース1 左下肢痛と発熱を主訴に来院した5歳男児:小児白血病
- ケース2 視機能低下を指摘された3歳女児:脳腫瘍
- ケース3 呼吸困難を主訴に来院した6歳男児:悪性リンパ腫
- ケース4 ツベルクリン反応の自然陽転で紹介された11か月女児:神経芽細胞腫
- ケース5 右大腿部痛を主訴に来院した7歳女児:骨肉腫
- ケース6 発達の遅れを主訴に療養施設を受診した10か月男児:網膜芽細胞腫
- まとめ
- おまけ 倉本聰脚本のテレビドラマ「君は海を見たか」:ウィルムス腫瘍だった正一君と父親のお話
小児がんの特徴
小児がんとは、15歳以下(おおむね中学生まで)のこどもに発生する悪性新生物、つまり癌のことをいいます。日本では年間2,000~3,000人が発生するといわれています。東京では年間200人が新規発生しているそうです
博士タローさんのHP「日本の小児がん」によると、平成22年度とちょっとデータが古いですが、小児慢性特定疾患治療研究事業に登録されている14歳未満の悪性新生物登録数(いわゆる小児がんで、年間発生数だけでなく小児がん治療継続中や治療再開者も含んでいます)は約70名でした。これは10万人あたり約50人の登録数となっています。大分県内は14歳までの小児2,000人に1名、約0.05%の登録数でした
小児がんの最大の特徴は、胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、前立腺がんの、いわゆる「5大がん」は非常にまれで、成人がんとは全く異なる疾患構成で、しかも多岐にわたります。成人癌の多くは上皮性悪性疾患なのですが、小児がんの多くは「血液がん」や「肉腫」です
小児がんは未分化(未熟)な腫瘍が多く、そのため急速に進行する腫瘍が多いといわれています。また症状が非常に多岐にわたり、がん以外にも鑑別すべき疾患も多いので、小児がんを疑った場合には、速やかに専門医機関へ紹介すべし、となっています
未分化な腫瘍が多い、ということは、化学療法や放射線療法の感受性は一般的に高く、近年では治癒率は平均すると、約70%、標準リスクの急性リンパ球性白血球などでは、治癒率は90%近くと良好です。それで、一説には20歳代の1,000人に1人は小児がん経験者といわれています
とはいえ、小児がんはいまだ小児の死因の上位を占めています。厚労省発表の2022年人口動態月報年計をみると、1歳から4歳の死因の第3位、5歳から14歳は自殺を除けば死因の第1位をしめます。さらに、発達途上にある小児期に化学療法や放射線治療を受ける、ということは、成長障害など多彩な合併症が発生する可能性があります。また治癒した後も、その後の人生は長く、「二次がん」など、晩期合併症の発生に留意しなければなりません。つまり長期フォローアップが非常に重要である、ということです
小児がんを疑う児を診た時の我々初診医の対応
小児がんは未分化ながんが多いので、病状が急速に進行することが多いです。もし、診察時にABCの評価項目、つまりAppearance(外観.A)見かけがよくない、Breathing(呼吸状態.B)呼吸状態が良くない、Circulation(循環、皮膚色.C)をぱっと(PAT)みて評価して、この中で1つでも異常がある場合は、専門医療機関に速やかに紹介する必要があります
PATの異常がない場合には、緊急で紹介する必要はありません。が、診断治療を速やかに進める必要があります。とくに小児がんは鑑別すべきがんの種類も多岐にわたるので、骨髄検査や病巣の生検などの病理学的検査だけでなく、染色体・遺伝子検査、免疫学的検査の、特殊で時間のかかる検査が必要となります。このような特殊検査を遅滞なく行う必要もあります。よって、小児がんを疑うこどもを診た時には、小児がん専門医療機関に事前に連絡を取っておく必要があります
一方、小児がんの早期診断は、一部の脳腫瘍の神経学的予後や、網膜芽腫(眼腫瘍)の予後を除けば、予後に影響を与える要素にはならない、ことが既に報告されているそうです。患者家族は、こどもが小児がん診断時にほとんど多くの場合、「なんで早く気づいてやれなかったのか…」と自責の念を抱きます(本編末「おまけ」参照)。「早期診断が予後には影響を与えない」という事実を伝えることは、自責の念など抱くことはないとお慰めするために大変重要なことです。ご家族だけでなく、これまでご家族から相談を受けたのにもかかわらず残念ながら見逃してきたかかりつけ医の多くも自責の念を感じています。ただ医療人としては、一刻も早く診断に持ってゆくことは、その後のQOL改善の期待、患者家族の心情を考慮するという意味では重要なことですので、見逃しても予後は関係ない、と開き直るわけにはいかないのです
ケース1 左下肢痛と発熱を主訴に来院した5歳男児:小児白血病
20xx年2月x日、熱が38℃台になり左足が痛い、という5歳の男の子が整形外科医院を受診しました。レントゲン検査で左足に異状なく、貼布剤と解熱剤処方され帰宅。翌日には熱は下がり痛みは軽くなりました。しかし4日後にまた38℃の高熱と両足の痛みが出たので、同院再診されました。感冒に伴う症状と判断され、解熱鎮痛剤を処方されました。しかし今度は1週間たっても症状が良くならず、顔面と足に出血斑が出現したので、今度は総合病院を受診しました。体温37.7℃、診察で出血班だけでなく顔色不良で肝臓脾蔵の腫大が認められました。採血検査で、末血中に芽球(白血病細胞)が95%、ヘモグロビンは5.4と著明な貧血、血小板も2.2万と血小板減少、LDH851と上昇など、異常を認め、白血病を疑われました。顔色不良でPAT診断で緊急性あり、直ちに専門医療機関へ紹介しました
専門医療機関で、白血病の鑑別診断のため骨髄検査が行われ、リンパ芽球(白血病細胞)98.5%、表面抗原マーカーの検査結果でB細胞全区型急性リンパ球性白血病と診断されました。多剤併用化学療法を行いました
考察:小児白血病は、小児がんの中で最も頻度が高く、その中でも急性リンパ性白血病(ALL)が70%を占めます。以後、急性骨髄性白血病20%、慢性骨髄性白血病約5%と続きます
もっとも頻度の高い急性リンパ性白血病は2~6歳で慢性骨髄性性白血病は6歳以上が好発年齢ですが、急性骨髄性白血病は年齢の偏りはみられません。小児白血病の治療成績は私が医師になった30年以上前とは話にならないほどに向上し、今では70~80%の治療率です
この5歳男児のケースのように、小児白血病に特別変わった症状はありません。風邪や貧血、成長痛などこどもの一般的な疾患との鑑別診断が必要です。初期症状を列記すると
- 正常な白血球が減少するためにおこる、発熱、咳嗽、鼻汁などの感染症症状
- 赤血球が減少することにより生じる、動悸、息切れ、めまい、倦怠感、顔色不良などの貧血症状
- 血小板が減少することにより生じる皮下出血、鼻出血、歯肉出血など出血傾向
- 白血病細胞の臓器浸潤によるリンパ節腫大、肝脾腫、骨痛、睾丸腫大、皮下腫瘤、眼球突出、気道圧迫症状、頭痛
などなど、いずれも特徴に乏しく何でもあり、という感じです。ただし、このような症状が、本ケースレポートのように持続してしかも悪化傾向になる場合は、少しでも小児白血病を疑い速やかに血液検査を行い、白血病の鑑別診断をおこなうことが肝要です。当院のような小さな町の診療所でさえ、価格や維持費が高額な自動血球計測装置を置き続けているのはこのためであります
ケース2 視機能低下を指摘された3歳女児:脳腫瘍
1歳6か月時に家族が斜視に気づき、眼科医院を受診。「様子を見るように」といわれたそうです。斜視は改善なく、2歳時に川崎病を発症し、病院小児科で入院加療した機会もあったが、斜視を指摘されることはありませんでした。その後もテレビを見る際に、右目が見えにくそうなことを家族は気づいたこともあったそうですが、受診しませんでした。3歳6か月の川崎病の心臓定期フォロー検査で、偶然に右目の追視がないことに気づかれました。眼科紹介し、眼底検査で両側の視神経乳頭蒼白所見があり視神経萎縮が示唆されました。原因精査のため頭部CT検査を施行され、視路視床下部に強大な嚢胞を伴う腫瘍を検出しました。脳腫瘍を疑い、専門医療機関に紹介されました。右失明、左光覚弁まで視機能が低下していた以外にほかの神経学的異常所見はありません。採血検査も異常ありません。頭部造影MRIで巨大な嚢胞を伴う視路視床下部腫瘍が描出され、視路視床下部の視神経膠腫と診断されました
考察:脳腫瘍は小児がんの約20%を占め、白血病に次いで多い小児がんです。小児がんによる死因の首位をしめ、本ケースレポートのように合併症や後遺症も多くやっかいです。脳のあらゆる部位に発生し、それぞれの発症部位に特徴的な臨床症状が出ます。疑わしきは頭部CTや頭部造影MRI、となります。ただ発症初期には頭痛などほかの疾患との区別がつかないことが多いので、脳腫瘍も鑑別疾患に上げ、その可能性が否定されるまでは経過を追うことが重要です
初期症状は、
- 脳腫瘍に伴う水頭症や髄膜炎に伴う「寝起きの頭痛」
- 尿崩症や下垂体ホルモン分泌不全に伴う「のどが渇き」「元気がない」
- 視交叉圧迫や外眼筋麻痺に伴う「視力低下」、「視野狭窄」、「複視」、本ケースのように「斜視」。脳幹部障害や運動失調
悪性度の低い腫瘍ほど症状はゆっくり進行し、診断までに時間がかかることが多いようです。それでも下垂体や視床下部の主要では内分泌の機能や、今回のケースのように視機能の予後を左右することがあるので、早期診断に越したことはありません。疑い段階から専門医療機関に依頼するのが望ましいようです
本ケースレポートの場合、視路視床下部の視神経膠腫でした。1歳半時に家族に気づかれた斜視の症状が出て、偶然川崎病にかかり、外来フォロー時に追視がない(失明疑わせる)症状に偶然気づかれ、眼科で精査するまでそのまま3歳まで放置されていました。このように視床・視床下部腫瘍に伴う乳幼児の視力低下や、基底核腫瘍によるきつい、ボーとするなどの二次性の神経症状は特に見逃されやすいことが知られています。本ケースの場合も、進行自体は遅く悪性度は低いと思われますが、残念ながら重大な視機能障害、つまり右眼の失明と左眼の光覚弁(明暗が識別でき、物の有無や影がわかる状態)にまで進行してしまいました
ケース3 呼吸困難を主訴に来院した6歳男児:悪性リンパ腫
20xx年5月x日、3日ほど続く発熱と喘鳴があり、小児科医院を受診し、喘息と診断され喘息の治療を開始しました。しかし喘鳴の改善を認めず、20日後、咳は悪化し、肩呼吸になりました。その6日後から背中が痛いという症状も出ました。その2日後には呼吸困難となり、同じ小児科医院を再診しました。初診から約1か月になります。この2か月で3kg弱の体重減少がありました。全身状態は割とよく、会話や歩行、細かい運動は正常でしたが、顔がすこしむくんでいました。体温37.2℃、心拍数140回/分、呼吸数34回/分と頻脈、頻呼吸を認めました。酸素飽和度は94~95%でした。聴診で右の呼吸音の減弱していました。採血検査では、白血球数は正常で、芽球など白血病細胞も認めません。貧血や血小板減少もありません。肝逸脱酵素LDHが824とほぼ倍に上昇している以外特に異常はありませんでした。喘息発作に対し、吸入療法を行いましたが、突発的に背部痛が出て、呼吸困難になり、二次医療機関に紹介しました。努力呼吸、呼吸困難、背部痛が強く、そこで初めて胸部X線撮影を行いました。右肺が真っ白でした。麻薬を使用したのち、左片肺への人工呼吸管理を開始しました。胸腔穿刺を行い胸水検査でTリンパ芽球性リンパ腫と診断されました。腎臓への転移を認め、ステージ3。ステージ3、4の進行性悪性リンパ腫に対する治療を開始し、治療に対する反応は良好で、右胸腔内の腫瘍の著しい退縮を認めて、11日目には抜管できました
考察:悪性リンパ腫は小児がんの約7%をしめ、脳腫瘍につぎ3番目に多いです。発生率は10万人に0.6人です。大分市で年1人の発生、といったところでしょうか。性差があるのが特徴で、男子が女子の2倍多いことが知られています。3歳から11歳に多いといわれています。悪性リンパ腫の名前で想像がつくように、約70%はリンパ節から発生し、頸部、それに本ケースのように縦郭(胸腔内)、腋窩(わき)、腹部にできますが、リンパ節以外にも発生し、眼窩(眼の中)、鼻の中、扁桃やのど、肝、腎、骨、卵巣、精巣が知られています
小児悪性リンパ腫は化学療法の効きが良く、身体障害の進行や再発などがない、いわゆる無イベント生存率は70~80%、80%~90%の長期生存率が見込まれます
初発症状は、
- 表在リンパ節発症の場合、表在リンパ節腫大で認識されます
- 腹部にできた場合は、嘔吐、腹部膨満(おなかが張る)、食欲低下などの消化器症状がでます
- 胸膜、縦郭、胸腺に発症した場合、咳、喘鳴、呼吸困難がでます
- 悪性リンパ腫が中枢神経に及ぶときは、脳腫瘍と同様、頭痛、嘔吐などの脳圧亢進症状が出ます
- 痛みが出ることもあります
- 「発熱」「体重減少」「盗汗(寝汗)」いわゆるB症状が出ることが多いです
表在リンパ節腫大は1cmを超える場合は病的とみますが、こどもの場合、ウイルス感染でこれくらい腫れます。しかし悪性リンパ腫の場合は2~3cmを超えるものが多いです
腹腔内発症の場合、胃腸炎、とか便秘とされることが多く、診断は難しいです。胃に発症する場合は、少量食べてすぐに満腹してしまうということがあります。本ケースでもそうでしたが、こどもで「体重減少」がある場合、重大な疾患が潜んでいることがあるということです。バーキットリンパ腫というものでは、小腸(回腸)末端に発生するので、年齢が高いのに「腸重積」を発症したり繰り返したりして疑われます。時に虫垂炎を発症、あるいは誤診されたり、血便や下血があり、細菌性腸炎と誤診されることがあります。肝臓近くで発症した場合は黄疸を呈することもあるそうです。できる場所によりなんでもあり、ということです
胸腔内発症の場合、初期には呼吸困難までは出ないので、呼吸困難が出た時点では本ケースのように既に進行例のことが多いです。咳、喘鳴などの気道症状が、適切な治療をしているにも関わらす、2週間以上続いたり悪化するときは、診療所レベルでもすぐにとれる胸部X線検査を行うべし。それ以外にも、本ケースのように顔面がむくんだり、聴診や打診で左右差がある、それに寝たり起きたりで咳や喘鳴症状が軽くなったり悪くなったりするかどうか問診で聞くことが重要です。起坐呼吸の患者さんに無理に寝せて採血したところ心停止し、死亡した例もあるそうです
本ケースも背部痛がありましたが、骨に発生する悪性リンパ腫の場合は痛み、発赤、圧痛があり、やはりX線検査が発見に有用です
「発熱」「体重減少」「盗汗(寝汗)」の1つでも症状がみられれば、「B症状」と呼んでいます。1つもなければAと称するようです。B症状が出る理由は悪性リンパ腫ではリンパ球系が異常に増殖、活性化し、リンパ球から放出される「サイトカイン」が増加し、炎症状態に陥るからといわれています。結核などの慢性感染症の時にも出現することがあります
診断には、採血検査もそうですが、それ以上に本ケースのようにレントゲン検査や超音波検査(エコー)が診断のきっかけにとても有用です。診療所レベルでも簡便かつ迅速に行え、当院でも積極的に行うようにしているのはこのせいです
ケース4 ツベルクリン反応の自然陽転で紹介された11か月女児:神経芽細胞腫
19xx年4月上旬(生後9か月)から微熱が続きましたが様子をみられました。5月上旬BCG接種前のツベルクリン反応を施行したところ陽性と判定されました(ツ反の自然陽転)。さらに様子をみられましたが、ツ反陽転判明1か月後の6月上旬に39度の高熱が出たので、ツ反の自然陽転の精査を兼ねて大学病院に入院精査となりました。入院時の胸部単純レントゲン検査や断層撮影で肺結核所見はなく、胃液検査でも結核菌は検出されませんでした(ガフキー0、のちに培養検査でも陰性を確認)が、旧結核予防法(2007年廃止)に基づき、抗結核菌INHの6か月間の予防投与を開始しました。一方、入院時の採血検査でたまたまLDHという逸脱酵素の項目が3,000台と異常高値だったため、腹部エコ―を行ったところ左副腎に5cm径の腫瘤を認めました。骨髄検査でも悪性細胞を認めました。神経芽細胞腫で上昇することが知られている神経特異エノラーゼ(NSE)の値も148ng/mLと正常上限の10倍を示し、神経芽細胞腫を疑われました。試験開腹による組織検査で、神経芽細胞腫(原発巣が左副腎、骨と骨髄転移)ステージ4と診断されました。副腎原発巣の組織のN-myc増幅解析検査で300倍以上の増幅を認め、著しい予後不良群と評価されました。NewA1プロトコールで副腎原発腫瘍の縮小後に外科手術による完全摘出を行い、その後、自家末梢血幹細胞移植併用高容量化学療法を計画しました
考察:神経芽細胞腫は悪性リンパ腫と同頻度(約6%)を占める小児がんです。好発年齢は、本ケースのように0歳から1歳までの乳幼児です。腹部にできる小児がんは神経芽細胞腫のほかに、腎芽腫、肝芽腫、胚細胞腫(卵巣、精巣腫瘍)などがありますが、ある程度大きくならないと発見されにくいことが知られています。本編末におまけで載せたウィルムス腫瘍は腎由来の腹腔内腫瘍です
初発症状は、
- 腹部の腫瘤、膨隆、膨満が一番多く、保護者が入浴中に気づくことが多いです
- 微熱、顔色不良、易疲労感、昼寝の延長、食欲低下、体重減少など、いわゆるB症状。本ケースも微熱が1か月ほど続いた後にツ反陽転に気づかれたが、さらにその後1カ月たって高熱がでるまで様子をみていました
- 便秘、頻尿、嘔吐など、腫瘍による圧迫症状
- 腹痛
などがあげられます。ついつい「様子をみましょう」で済まされがちな症状で、初発症状から運よく発見されるケースはまれでしょう
その他、留意点として、あかちゃんの腹直筋は未熟なために、おなかが膨らんできても「こんなもの」と保護者も医者も思ってしまいがちであること、腹部腫瘤を疑った場合は、必ず赤ちゃんをベッドに寝かせて診察すること(健診では必ず寝かせて診察)、腫瘤を触知しても無理に強く圧迫しない(腫瘍破裂の危険がある)、腹部超音波検査(エコー)は手軽にかつ侵襲性なく行え、破裂の危険もないので、有用であることが書かれています。本ケースの場合、入院時腹部触診で腹部腫瘤はわかりませんでしたが、LDH高値の精査で肝を含む腹部超音波検査を行い、左副腎の5cm大の腫瘤を発見しています。腫瘤発見後も触診で腫瘤は触れませんでしたので、エコー検査の有用性を再認識しました
本ケースの時代背景ですが、まだ本邦の結核発生数が多く、乳児の結核ワクチンのBCGを接種する前に、全例ツベルクリン反応を行い、陰性の場合はBCG接種、陽性(自然陽転)の場合は結核菌感染の精査をしていた昔のお話です。自然陽転の場合は、児はもちろん、児と接触歴の多い両親兄弟、祖父母の家族も結核のスクリーニング検査を行い、これで家族の結核罹患が判明することも少なくなかったのです。本例はツ反自然陽転(BCG未接種段階でツベルクリン反応陽性)していましたが、結核に対する精密検査の結果では結核罹患は証明できませんでした。兄弟はおらず、ご両親、祖父母など児と接触する機会が多い家族にもツ反やレントゲン検査を行いましたが、結核罹患は証明されませんでした。時に、BCG接種前で結核菌の感染がなくてもツ反が陽性になることがありました。非特異的なアレルギー反応や非結核性抗酸菌感染などとして片付けられていることが多いです。神経芽細胞腫判明後にツ反自然陽転との因果関係を調べましたが、現時点でも関連性においてヒットする例はありません
ここでドラマを引き合いに出して恐縮ですが、1978年フジテレビ制作の不朽の名ドラマ「白い巨塔」田宮二郎版で、財前ゴローのライバル役・里見助教授(山本學)が研究していた「生物学反応を用いたがんの早期発見法」がもしかしたこれに近いのではないか、と考えます。教授選にうつつを抜かしているゴローを尻目に、モルモットになにか薬品を皮内注射して、反応した発赤腫脹径を助手の谷山医師と黙々とノギスで測定しているシーンは印象的でした。現在では癌が発生するとナチュラルキラー細胞など細胞性免疫のような非特異的な免疫応答が起きることは周知されています。ツ反は細胞性免疫の活性状態を図るものです。仮説ですが、本ケースの児ももしかしたら神経芽細胞種に対する免疫応答が起きて、それがツベルクリン反応の自然陽転につながったのかもしれませんね。また、本児の結核の検査に肺の断層撮影をおこないました。CT検査が高性能になるまでは時々行っていた懐かしい検査で、白い巨塔でも里見助教授がゴローに佐々木庸平の肺の断層撮影実施をしつこく迫るシーンがありました
補足ですが、以前神経芽細胞腫の早期発見と死亡減少をめざし、「神経芽細胞腫マススクリーニング検査」というものがかつて全国で行われていました。生後6~7か月児を対象にろ紙に尿を含ませたものを郵送してもらい、尿中のカテコラミン(癌が産生するホルモン)を測定することで神経芽細胞腫のスクリーニングを行う、というものです。現在成人式を迎えた方々くらいまでは行っていたので、そのお母さん方は記憶があるかもしれません。残念ながら本事業による神経芽細胞腫の死亡減少効果が認められず、また神経芽細胞腫は自然体縮をすることがまれではなく、早期発見にいたっても直ちに手術で機序を行うことがむしろ過剰診療となる恐れもあることなど不利益もあり、スクリーニングの意義が乏しいた判断され、2003年には中止されてしまいました
ケース5 右大腿部痛を主訴に来院した7歳女児:骨肉腫
20xx年5月ごろから運動の後に右足を痛がるようになりました。その後、安静時にも痛みを感じるようになり、整形外科医院を受診。全身状態に問題はないものの、右膝関節から大腿部にかけて熱感腫脹、右膝関節の可動域制限を軽度認めたので、同部位のレントゲン撮影を施行したところ、右大腿骨遠位内側に骨膜変化を伴う骨破壊と骨形成を認めました。右大腿骨に発生した悪性腫瘍が疑われ、病的骨折予防処置(患肢免負荷)を行い、骨軟部腫瘍専門医と悪性腫瘍専門小児科医がいる専門医療機関に紹介しました。そこでの病理検査で骨肉腫と診断されましたが、MRIや全身CT検査、骨シンチ検査などの各種画像検査では肺転移などの遠隔転移は認めませんでした。術前化学療法、患肢温存手術、術後化学療法を行い、無事全治療を行い、現在経過観察中です
考察:骨、軟骨腫瘍には、本ケースの骨肉腫やユーイング腫瘍などが代表として知られ、小児がんの約4%をしめます。本ケースは7歳女児の骨肉腫ですが、10歳台を中心にやや男性に多く発生し、好発部位は本ケース同様、大腿骨遠位(膝の上)、脛骨近位(膝の下)、上腕骨近位の骨幹端部(腕の肩のほうに近いところ)です。本ケースのように運動時痛と熱感腫脹の症状が出て、進行すると、安静時にも痛みが出て、病的骨折で来院することもあります。ただし、全身状態は比較的保たれています。診断には単純X線検査が有用です。1970年以前は骨肉腫の5年生存率は10~15%を悪かったようですが、近年の統計的化学療法の進歩で現在では70%にまで生存率は改善しています
一方、ユーインク肉腫ですが、骨肉腫よりやや若い5歳からみられます。四肢長管骨骨幹部に好発しますが、骨肉腫と違い、脊椎や骨盤に発生することもあります。症状は骨肉腫同様病巣部の熱感腫脹疼痛ですが、発熱など全身症状を伴うことがある点が異なります。骨髄炎や若年性特発性関節炎など、ほかの炎症性疾患との鑑別が必要になることもあります。ユーイング肉腫はたちが悪く、腫瘍は急速に進行し、最初から安静時痛を訴えることも多いです。発生した骨全体に広がりを見せることもあります。そのため治療成績も現在でも骨肉腫より悪く、それでも5年生存率も60%近くまで改善しましたが、初診時にすでに肺転移がある、腫瘍が大きい、脊椎や骨盤などの体幹発生では依然として予後不良です。いずれにしろ、特に下肢発生の骨軟部腫瘍を疑う場合は、病的骨折の予防のため、本ケースのように最初から松葉杖や車いす使用など、患肢の負荷軽減を行うべきであります。また治療の専門性が高く、検査の段階から専門医が行うべきとあります
ケース6 発達の遅れを主訴に療養施設を受診した10か月男児:網膜芽細胞腫
生後5か月ごろから、両眼が光ることに両親は気づいていました。10か月健診で首すわりが5か月、寝返り7か月、ハイハイやつかまり立ちができないなど発達が遅れていることを指摘はされましたが様子見。保護者は視線が合わないことが気になり、かかりつけの小児科を受診しました。そこでも発達の遅れを指摘、療養施設に紹介しました。療養施設で両眼の白色瞳孔、左眼内斜視を指摘され、同院眼科紹介。眼科医診察で両眼に腫瘍を認め、網膜芽細胞腫を疑い、専門医療機関に紹介しました。転院後、眼科医による眼底検査と頭部MRI検査の結果、両眼に網膜剥離を伴う大きな腫瘍を認めました。光に対する反応があり、視機能回復が見込まれ、眼球温存治療が選択され、全身化学療法と局所治療を開始しました
解説:小児の眼腫瘍のほとんどは網膜芽細胞腫です。小児がん全体では3.5%をしめます。乳幼児がほとんどで、生後1か月から高くて3歳時くらいまでに診断されるのがほとんどです。発生率は出生時の15,000~20,000人に1人。大分県の年間出生数は7,000人弱で、乳児発生はほとんどですので、県内の網膜芽細胞腫の発生は2~3年に1人の確率です。今ではほとんど見ることがなくなった細菌性髄膜炎程度と考えると決して遭遇することはないとはいえません
初発症状は、
- 白色瞳孔が最も多いです。白色瞳孔は第一次硝子体遺残やコーツ病などほかの重大疾患でも認めるので、これを認めた場合は直ちに眼科紹介となります
- その他の眼症状としては、斜視、眼球充血、追視できない、本ケースのように視線が合わない、眼瞼浮腫、眼脂などです
そもそも乳児の視力や視機能は未熟であり、2歳になってやっと視力が0.3程度になります。小学生以上とはちがい、乳幼児は物が見えないことを伝えることはあり得ないので、発見されたときは既に進行している場合が多いです。そのため、追視しない、視線が合わないなど、保護者がおかしいと感じて相談を受けた場合は、診察医はまずは網膜芽細胞腫を疑ってかかることが大事と指摘しています。例えば、目やにを主訴に小児科医院を受診されたあかちゃんで、通常の抗菌薬入りの点眼で治らない場合は必ず眼科受診すること、目ヤニごときでも小児科医が眼科専門医の受診を勧めているのは、ときに網膜芽細胞腫のような重大な疾患が潜んでいるかもしれない、と考えているからです
小児科医が、偶然目の症状に気づくきっかけとして、乳児健診や定期予防接種の機会が考えられます。小児科医は一般診療の際にも乳児の眼に注意することが大切です。特にいつも見ている家族から相談を受けた時は、網膜芽細胞腫を念頭に、最低でもペンライトを当てて目つきや瞳孔の状態を観察すべしとあります
網膜芽細胞腫の大事な特徴として、家族歴が多いことが知られています。本疾患の発生にはRb1遺伝子の異常が関係しています。常染色体優性遺伝で発症しますので、親の異常なRb1遺伝子を子が引き継ぐ可能性は50%で、引き継いだ場合は必ず発症します。全体の4割はRb1遺伝子異常が代々遺伝することによっておこるといわれています。遺伝性の場合、本ケースのように両眼発症の場合が約1.5倍多いといわれています。逆に両眼性の場合はすべて遺伝性で、片眼性発生の場合は15%が遺伝性です。遺伝性の場合は発症年齢も早く、両眼性、もしくは片眼性の場合でも複数の腫瘍が発生していることが多いといわれています。このように、もし網膜芽細胞腫の家族歴があることが判明した場合は、その兄弟姉妹の眼底検査は3歳まで3~4か月ごとに行うことが網膜芽細胞腫の早期発見につながります
まとめ
ここまで、代表的な小児がん、「小児白血病」「脳腫瘍」「悪性リンパ腫」「神経芽細胞腫」「骨肉腫」「網膜芽細胞腫」について、具体的なケースを提示して、それぞれの病気がどのような経過で発見に至ったのか、そしてそれぞれの病気の特徴などを解説しました。その特徴として、
- 小児がんは血液がんや肉腫が中心で、成人の胃がんや肺がん大腸がんなどとは異なる疾患群であること
- 発生数は全国で年間2,000人から3,000人、大分で14歳までで2,000に一人、と1万人程度の患児登録がある小児科医院で5人ほどは発生している計算になり、決して出くわさない病気ではない
- 小児がんの初期症状の多くは、微熱、寝汗、体重減少のようないわゆるB症状や、目つきがおかしい、おなかが膨らんでいる、顔色が悪い、などなんとなく元気のない状態が慢性的に続くことが多い
- いったん症状が顕著化したら、急速に病状が進行することが多い
などが挙げられます。いつもこどもをみている保護者でさえ、こんなもんだろう、こんなことで医者に相談するまでもないだろ、まさか自分の子に限って…などと思ってしまいがちです。実際、初期段階で保護者が何となくおかしいとかかりつけ医に相談しても、正直申しまして緊急性はない状況なのでいちいち全部専門医施設に紹介するわけにもいかず、「様子見」あるいは「精神的なもんだろ」で終わらせてしまいがちです
今回、九州沖縄地域小児がん医療提供体制協議会が配っていただいた「小児がん診断ハンドブック」で勉強してました。そして思うことは、小児がんをできるだけ早く見つけてあげるために、我々かかりつけ医、初診医の心構えとして、大学病院で小児がんのお子さんを受け持って苦労していたころの初心に返り、重大疾患を見逃さぬように、とにかく小児がんを疑って全身をくまなく観察してみること。初診では疑う所見がなくても、数週間後にその症状がどうなっているのか、もう一度来ていただき、症状が改善しているか確認すること。もし状態が悪化しているようなとき、治療に反応していないときは、積極的に検査、といっても町の診療所レベルでは一般検血・CRP、超音波検査、X線検査くらいしかありませんが、とにかく何らかのアクションを取って、小児がんの存在はまずないことを確かめる、もしそう判断する自信がないときは精密検査のできる二次病院の先生方に積極的に相談・紹介してより詳しい精査を依頼することが大事であることを再認識しました
最後に大分県の小児がん医療体制ですが、「大分大学医学部付属病院」が小児がん連携病院となっております。本テキストによれば、すべての小児固形・血液がんの診療が可能で、造血細胞移植術などの高レベルの治療を実施されており、小児がん寛解後の長期フォローアップ外来を実施されているそうです。休日夜間を問わず、医療機関からの受け入れ相談も可能、とのことです
おまけ 倉本聰脚本のテレビドラマ「君は海を見たか」:ウィルムス腫瘍だった正一君と父親のお話
バブル期に就職期を迎えた私の年齢以上の方であれば、もしかしたらみた記憶があるかもしれません。「北の国から」で有名な倉本聰が、北の国から放映終了直後に手掛けたテレビドラマ「君は海を見たか」のことです
今は亡きショーケン、こと萩原健一が演ずるモーレツ社員である父、増子一郎が一人親で育てる小学生の正一(六浦誠)に腎臓の腫瘍「ウィルムス腫瘍」が発症。発覚後数カ月の小康状態を経て、念願の新築完成のその日に、正一君に血尿がでて、それからは崖を転がるごとく病状は悪化、死んでしまう悲しいお話です。余命3カ月と宣告された治る見込みのない進行がんがこどもに見つかったあと、ひとり親の父が、僅かに残された子供の命の時間でどう考え、行動し、そして変わったか…私が思うに、知る人ぞ知る倉本聰先生の隠れた代表作なので、ブログなどでもいろいろ言及されています(アベルカインさんの男のほのぼの日記など)。物語は、主人公、父増子一郎の日記を回想する形式ですすめられます。その印象的なシーンを振り返りますと…
昭和時代の典型的なモーレツ社員、増子一郎(ショーケン)が再婚することになり(再婚相手本宮佳子役・関根惠子)、それを機にアパート暮らしからおさらばして、友人の立石建築士(柴俊夫)に家を新築してもらうことになりました。一郎は正一君に子供部屋を好きなように作っていいと言い、正一君はヨットのキャビンのような部屋にして欲しく、絵をかいて友達にも自慢していました。ところがモーレツ社員一郎は、ちょうど仕事の海中公園建設が行き詰まっており、正一君の相手をする時間もなく、その絵を見てもくれません。そしてある日、おなかが痛い、と学校を休み、母がなくなってから実質母代わりとして面倒をみている叔母・弓子(一郎の妹、伊藤蘭)に連れられ町の小児科医院を受診した際に一発で腹部腫瘤を気づかれ、すぐに大学病院を紹介。そこで精密検査の結果、腎臓原発の悪性腫瘍「ウイルムス腫瘍」で肺転移の進行がんで余命3カ月と診断されます。主治医木口教授(下条正巳)のムンテラの約束の時間が緊急手術でお流れになったりで、仕事が行き詰って焦っている一郎は妹弓子にぐずぐず文句を垂れていました。そしてようやく教授から、息子正一君は一見元気そうに見えるが、腎臓の悪性腫瘍で肺に転移もみられ、おそらくあと3カ月しかもつまい、と説明を受けます
病状説明の後、ずっと正一の面倒を見ていた弓子に、一郎はかすれた声で「どうしてもっと早く、気づかなかったンだ」―「転移する前に発見されたら」と当たりちらります。が、その弓子から「正一、兄さんには二ケ月前にいったそうよ」―「オナカに変なグリグリがあるって」―「兄さん、仕事の本を読んでいて、返事もしなかったそうだわ」―とにらみつけられました
罪悪感で絶望の淵に立たされた一郎は、正一の残された僅かな命の時間で何をしてあげればいいのか悩み、一郎の担任・大石先生(小林薫)のところへ相談に行きます。そこで先生は言います。「いつだったか組でみんなに海の絵を描かせたことがあります」―「その時~みんながこう、青い~陽のカッと照った夏の海岸の絵を描いたのに、正一君一人は画用紙一面真っ黒に塗りつぶした海の底を描いてきました」―「正一君の印象では、海は黒いものということでした」―「ふつうの父親がふつうの子どもにするように~たとえば海を青いと感じさせることのほうが~重要なんじゃないかと僕は思います」と先生はつたえました。一郎は「先生~。私は~。正一に、事実まだ海を見せてなかったような気がします」と答えました。はじめて長い間仕事にかまけて子供のことはそっちのけにしていたこと、そしてこどもにしてやる時間はもうそんなに残されていないことに気づかされた、というわけです
それからの一郎は、正一を友人の立石設計士が保有する湘南の海の別荘つれていって遊ばせたり、建設中の新築の正一のこども部屋を希望のヨットのキャビン風にするように立石設計士に頼んだり、主治医の木口教授(下条正巳)たちを差し置いてウィルムス腫瘍の権威の医師をたずねたり、藁をもすがる思いで「末期がんが治った」と評判の指圧師のもとに正一を連れて行って施術を受けさせたり…そんな一郎を、弓子や弓子のフィアンセ門間修(高岡健二)、それに再婚予定の本宮佳子など周りの人間は、正一の担当の木口教授や為永教授(湯浅実)に気兼ねして、時には白い目で見ることさえありました。しかし指圧師を一郎に紹介した佳子の元彼氏、加瀬乙彦(寺田農)だけは、佳子に「お佳、人間の命がかかってる時には、行きずりの他人だって真剣になるもンだ。あの人はあの日、狛江(こまえ)の(指圧でがんが治った)叔母ン所から、その足で奥多摩(の指圧師)に出かけて行ったンだぜ」と一郎に理解を示しました
そして余命3カ月宣言期間を無事に過ぎ、ようやく一郎や正一たちの新築家屋が完成し、完成パーティーで一郎たちは「もしかしたらたすかるンじゃないの」と希望をもったその時、「オシッコ」とトイレに駆け込んだ正一君が「パパァ!!来てごらんよ早く!!」―「スッゴクきれいなンだ!トイレの中でさ!ぼくのオシッコが真っ赤なンだよ!!」…正一君がなくなったのはそれから1か月もありませんでした。最後に、生前正一が連れて行ってもらった沖縄から大石先生宛に書いた「手紙」と「一つの絵」が同封された封筒が、大石先生から一郎に届くシーンで終わります。正一が沖縄の海中公園で描いた絵は一面真っ青な海でした。「正一君はどうやら海を、まさに青いと感じたようです」と大石先生は綴っていました…
以上は1982年10月フジテレビ放映版のシナリオ本から引用しました。本作放映当時、私自身は高校1年の秋。最終回、正一君の真っ赤なオシッコがトイレの中でグルグル流れるシーン、そのあと一郎たち全員が固まり、画面が真っ白に変わる演出は強烈で、今でもなぜかはっきり覚えています。もしか再放送でもされたときにみたのかも。チャンネルガチャガチャ回したとき偶然にちらっと見たンでしょうか。そのころ医学部進学とか夢にも思わず、10年後まさか大学病院で自身が小児がん診療にボロボロになりながらたずさっているなどとは…残念ながら82年のショーケン版の映像はyoutubeでほんの一部細切れにアップされているのがみれるだけで、全編は今では得ることができません。テレビ局にオリジナルテープがまだ残存しているのであれば、いつか映像ソフトとして販売されることを願っています
実は「君は海を見たか」のテレビドラマはそれより一回り古い1970年日本テレビ制作の平幹二朗版もあり、これが放映時私はまだ4歳。自宅のテレビはまだ白黒だった時代で地元はNHKと民放は1局時代だったと思います。あれから50年たった今でもまだ里の民放2局と思われ~幸いこの平幹二朗版は2020年3月に放映50年記念でDVDパッケージとして発売されました。もちろん私は即購入して何度も繰り返し鑑ております。こちらも子役の山本喜朗、妹役姿美千子、フィアンセ役本郷功次郎、一郎の再婚役野際陽子、佳子の元カレ役高橋昌也、木口教授役小栗一也、先生役井川比佐志などそうそうたる役者さんの熱演でショーケン版に負けず素晴らしい作品です。日本放送制作による影響か、この平幹二朗版には現役時代の巨人の王、長嶋、そして高橋一三投手が特別出演しており、ある意味お宝です
今の小児がんの治療成績は、正一君の1970年代や私が大学で研修をしていた1990年代初頭と比べ格段に上がっています。それでもご家族にとってわが子が小児がんと宣告されることは重大なことです。そのご家族の想いの一部だけででも理解することができる優れたTVドラマであり、今回の小児がん特集に際し言及させていただきました
最後に余談のおまけですが、ショーケン版で正一君演じた六浦誠君、巷で「北の国から」シリーズ最高傑作と噂の「北の国から~'84夏」で東京から来たチョー生意気なツトム君役を演じていましたね。こじゃれたボーイスカウト風のいでたちで「知らね~のかよぅ~遅れてますねぇ~いまにパソコンで買い物も仕事も家でできるようになるンだ~パソコンでなぁ~ンでもできる時代が来るンだ~」とほざいてジュンやショーキチを悔しがらせてましたね。だけどあれから40年。そんなツトム君の大予言だけど、アマゾンとかグーグルとかズームとかリモートワークとかiPhone15とか…ツトムワールド、まじで実現しましたね。毎度ながら倉本聰先生の先見性にはほんと驚かされます